【実話】借金650万円のうつ病だった僕がTiktok開始2ヶ月で850万円稼いだ方法
ほしです!
今回は、借金650万円のうつ病だった僕がTiktok開始2ヶ月で850万円稼いだ方法という、ぶっちゃけ嘘のような本当の話をしたいと思います。
「誰が僕の過去なんかに興味あるんだよ!」って思ったんですが、
この動画を撮ろうと思ったきっかけは僕の元によく
- 中卒ですが、ほしさんみたいにSNSで稼いでいけますか?
- 個人で稼いで生きていきたいですが経験がないです
- 何かしないといけないのは分かってるんですが勇気が出ません
など質問がきます。
冒頭でもいいましたが僕は元々重度のうつ病でした。
そんな僕の過去を語ることで、みなさんに少しでも勇気を与えられたらと思いこの動画を撮影しています
北海道で生まれる
僕は北海道の札幌市に生まれました。
3人兄弟の末っ子で、幼いころから陽気な性格で、学習発表会では自ら志願して主役をやるような子でした。
小学校から高校まではサッカーをしていて運動神経はそこそこに良かったですが、
勉強はなまらできなくて、高校のテストではいつも300人中、290位あたりでした
警察官を目指すが・・・
そんな頭の悪かった僕ですが、警察官になることを決意しました。
なぜかっていうと、高校2年生の夏に姉が痴漢にあってめちゃくちゃ腹がたったので、
警察官になってそんな悪い奴らを撲滅したいと思ったんです
あっシスコンではないですw
それから僕は本気で警察官になろうと、
実技試験のため、毎朝学校前に自転車で30分かけてジムにいき競歩の練習
授業中も学校の勉強そっちのけでずっと警察試験の勉強をしてました。
そして、迎えた試験の本番。
毎朝のジム通いの成果が出て、実技試験をなんと1位で突破できました。
「よしっこれはいける!」
そう思ったのですが、
面接でヘマをしたのか、学力が足りなかったのか、結果的に落ちてしまいました。
芸人を目指す
そして、
僕は当時、”本当”にバカだったので、
「学歴が無くてもできることをやるしかない!」と思って、なぜかお笑い芸人になると決めました。
あなたはこの選択をどう思いますか?
今思えばね他にも選択師はあると思うんですが
頭が悪い=芸人しかないっていう考えだったんです
そうしてリュックサック1つですぐに北海道から上京しました。
そうして、僕の芸人生活がスタートしたんですが、すぐに、予想もしていなかった奇跡が起こります。
知り合いの紹介で、よしもとのお笑い芸人さんのステージに立たせてもらうことができたんです。
「なんかやれよ!」って無茶振りされたので1つネタを披露したのですが、それが結構ウケて僕は
「あれ、意外といけるんじゃないか?」
そう思いました。
その日の夜は、興奮して朝方まで眠れなかったのを今でも覚えています。
ただ現実は甘くなく、最初は夢に満ちあふれていたので仕事が無くても、楽しかったんですが、次第に現実という名の悪魔が襲ってきました。
当時、家賃1万5千円の〜区1K(ワンケー)のボロアパートに相方と2人で、貯金をきりくずしながら生活してましたが、
徐々にお金が無くなり、バイトメインの生活に。
通帳を開くと残高920円。
生活が安定してないとメンタルが安定せず、ネタを考えたりする余裕がなくなっていきました。
そして、僕はわずか1年で芸人を辞めました。
当時は、家族にも地元の友だちにも「絶対売れて帰ってくる」と宣言してでてきた手前、こんなすぐに諦めた自分が許せなかったです。
そして、もう夢や目標を追いかけるのが嫌になり、
「こんなことなら普通に就職していればよかった」
本気でそう後悔しました。
ほし、フリーターになる
そこから何も目的もなくなって、フリーターになり、
夕方に起きてバイトにいき、
バイト後は友達や彼女と飲みに行ったり、カラオケやボーリングをして夜中まで遊び、また夕方に起きてバイトに行く生活。
そんな堕落した生活を7ヶ月くらい続けたある日
「さすがに、このままじゃヤバい」と謎の不安にかられ
何かやろうと決心しました。
ただ、これがさらなる悲劇のはじまりで、
ラクして稼げると聞いて・・・
僕は、よくあるラクして稼げるという仮想通貨のビジネスで騙されてしまったんです。
知り合い含めて色んなところから借り入れをしていて、フリーターで借金650万円というもうどうしようもない状態。
ホテルで責任者を任される
ただ、不幸中の幸いなのか
そのビジネスをやっていた時に偶然知り合った経営者の紹介で、東京のホテルで働くことになりました。
そして、若くて元気だけはあったのでホテルの社長に気に入られ、
就職直後からリーダーを任せられ、がむしゃらに働きました。
社長からは、
「今後展開していくホテルで君を使っていくからここで頑張れば、年収1000万円になれる」と言われていたんです
僕は、一心不乱に働きました。
でも、
当日無断欠席するインド人のアルバイトたち
「お前は、従業員の管理すらできないのか?」
「このホテルが潰れたらお前のせいだからな」と怒鳴るパワハラ上司
不法入国の外国人がいないか調査しにくる警察官。
その対応に追われ現場の仕事が終わらない。
当然家には帰れず、平均3時間睡眠で、いつもホテル内の邪魔にならない場所で寝てました
忙殺される日々の中なんとか正気を保っていましたが、ある日プツンと糸が切れます。
うつ病になる
ある朝、いつものようにホテルの仮眠室から目覚めると身体が動かないんです。
仕事のことを考えるだけで、身体がブルブル震えて動かないんです。
当時付き合っていた彼女に介抱されなんとか病院に行き、
そこで「適応障害(うつ病)」だと診断されました。
そしてその夜、数年ぶりに母親に電話しました。
電話したというか、無意識に電話をかけていたんです。
母親って偉大ですね。
「大丈夫。帰っておいで」
母のその言葉に涙が止まりませんでした。
僕は、地元に変えることを決めました。
運命を変える出会い
そして北海道に帰省したあとは何もせず数ヶ月、家に引き籠もっていました。
時間はかかりましたが徐々に回復していって、
「これ以上迷惑はかけられないし何か仕事始めないと」
そう思って仕事を探していたところ、たまたま昔からの友人がSNSを使ったビジネスをやっていることを知り、
「久しぶりに会おうよ!」とLINEを送り、地元にあるサイゼリアで話を聞きました。
僕はそれまでSNSなんて一切やったことがなかったですが、
その友人の薦めで、当時流行っていたインスタグラムの運用を進めました。
「伸びてるSNSだし、周りのみんなも伸びてるし大丈夫でしょ!」
そう思っていたのですが、
最初はなかなか思うように伸びずに、周りが成果を出してる中で自分だけは成果が出ないという状況。
「友人だからという理由で、気を使ってチームに置いていてくれてるんだろうな」
昔からの陽気な自分のイメージを崩したくないと、
当時は気丈に振る舞っていましたが、正直毎日プレッシャーに潰されて吐きそうでした。
それでもなんとか食いしばって、
毎朝6時にスタバに行き、競合の投稿を分析し、週に30本以上の動画投稿、移動時間はデザインや文章の勉強。
そんな生活を続けていたら3か月後には37万円、半年後には月収110万円以上稼ぐことができたんです。
25年の人生で初めての大きな成功体験でした。
「よしっこれはいける!」
ただそう思ったのもつかの間、
2023年の夏、悲劇が起こります。
突然のアカウントが停止して収入が一気にゼロに。
このときは、さすがに凹みました。
1年以上手塩にかけて育ててきたアカウントがゼロになったんです
ただ、僕にはそれまでに培ったSNS運用の知識がありました。
お金は減っても知識は減らない。
僕はそこからインスタではなく今全世界で最も伸びているSNSである
Tiktokの運用を開始して、2ヶ月で850万円稼ぐことができました。
そして今は、Tiktok攻略の専門家として最先端の情報をみなさんに発信しています。
さいごに
そして、学歴も無く、借金まみれ、うつ病にまでなった僕が成功できたのは
シンプルに、伸びている、成長市場で戦ったからです。
市場が伸びていれば、それに乗っかって自分の実力以上に大きく飛躍することができます。
Tiktokは本当に急激な成長を遂げています。
ありきたりな言葉ですが、「人生一度きり」です。
あなたはそんな一度きりの人生、どんな人生にしたいですか?
もし、あなたが「今年こそ人生を変えたい」と少しでも思っているなら、ぜひ一緒に学び成長していきましょう!
最後までご視聴ありがとうございました